推手を競技として行なう「競技推手」の研鑽を通じて、伝統武術の振興を志向する団体です

Photo by 中村 治

レポート

第2回全日本競技推手大会開催いたしました

2018年5月20日

去る5/20日曜日、第2回全日本競技推手大会を、BumB(ぶんぶ)東京スポーツ文化館にて開催いたしました。

申し込みの出足こそ鈍かったものの、最終的には参加35名の選手による熱い戦いが繰り広げられました。

(当連盟代表顧問である、葛西先生のコメント(要facebookアカウント) 、いつもお世話になっているko2サイトでのレポート記事もあわせてご一読ください。なお、ko2サイトでは葛西先生による「実践、超護身術」が好評連載中です)

男子無差別級決勝戦 高崎選手 vs. 竹村選手

大会結果(敬称略)

【男子軽量級】
優勝 高橋 矢
二位 日髙 崇
三位 西尾 嘉洋

【男子中量級】
優勝 上川 著芳
二位 竹村 秀敏
三位 福士 寿樹

【男子重量級】
優勝 高崎 史義
二位 加藤 祐一
三位 眞田 雅行

【男子無差別級】
優勝 竹村 秀敏
二位 高崎 史義
三位 上川 著芳

【女子無差別級】
優勝 北村 恭子
二位 羽根田 淳子
三位 片山 絵美子

【敢闘賞】
西久保 大樹、秋葉 勇

男子無差別級1回戦 秋葉選手 vs. 西久保選手

大会の内容についての感想を少し書き留めてみたのですが、なにかを「講評」するにはあまりにも未熟な立場なので、ばっさりカットして、ちょっとだけ蛇足を。

私自身、この年齢になるまで40余年、ほとんど「試合」というものを経験してこなったので、「(トーナメントで)頂点を目指す」ということの意味が今ひとつ理解できていませんでした。

言い換えれば、「頂点のみが価値のあるものなのか?」ということです。

もちろん、第一義的には、この問いには「その通り!」としか答えようがありません。

参加することに意義がある、なんてのは上っ面の美辞麗句にすぎず、勝利こそがすべてです。直近のオリンピアンで、メダルをひとつも取れなかった人の名前を何人覚えているでしょうか。競争、競技である以上、「上」に行きたいから努力する。あたりまえのことです。

私が問いたいのは、「では、頂点以外は、すべて無価値なのか?」ということです。

こういった場に身を投じるまでは、漠然と、そう考えていました。勝者こそが正義、結果こそすべて、という弱肉強食の単純なセカイなんでしょ。と。

(そう思い込んでいたからこそ、こういった体育会的な場とは距離を置いて、文化系ライフを歩んできたのですが)。

何度か、大会に参加したものとして言えるのは、断じて否、です。

10人参加するならば、9人にとって参加は無価値なのか。100人参加するならば99人にとって無価値、なのか。「断じて否」、であります。

たとえば、あまり体力のない、競技の経験も浅い人がいたとします。

「大会に興味はあるけど、ブザマに負けるのはカッコ悪いし……」と思って、参加しなかった、とします。

彼は大会に参加しない間、どれくらい練習するでしょうか? いずれ、ブザマに負けないだけの実力を得て、いずれ、大会に参加してチャンピオンになれるでしょうか?

同程度の実力の人間が、大会に出ることを決めた、とします。
彼は大会までの間、どれくらい練習するでしょうか? 大会でブザマに負けてしまったとして、その後、どれくらい練習するでしょうか?

少なくとも、前述の、「参戦しなかった彼」よりは真摯に練習するのではないでしょうか?

「大会」には、そういう価値がある、と思います。だからこそ、今回、「敗退」してしまったすべての人たちに最大限の敬意を表したいと思います。彼らこそが、自分の実力の無さを冷静に見つめ、逃げずにあがいた勇者、です。負けから学ぶことはいくらでもあります。次こそは捲土重来、大会の「台風の目」となってください(……えーと、ワタシもがんがります。。)。

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